ここ最近、子どもの国語力を上げるにはどうしたら良いかと悩まれている保護者の方を多くお見受けします。

英語・プログラミングなどが加わり、学校のカリキュラムが変わろうとしている最中にあっても、学力を支えるのは国語だと私は考えています。

どんな学問も、理論も、研究も言葉がベースになっています。

言葉無くして、それらを理解したり、伝えたりはできないのです。

そしてその言葉を学ぶのが国語ですから、その重要さは言わずもがなですね。

さて、ここで質問です。お子さんの国語力を上げるにはどんな取り組みをしますか。

多くの方は「読書をさせれば国語力が身につくんじゃないか」と思いつくのではないでしょうか。

今回は国語力の向上と読書について考えていきたいと思います。

読書は国語に有効か?

読書は国語に有効か?と聞かれたら、「取り組み方による」と答えます。スミマセン、当たり前ですよね。でも「ひたすら本を読ませれば国語力が身につくのか」と聞かれれば、「いいえ」とはっきり言えます。正確に言えば、力はつくかもしれませんが、それがベストな選択とも思えません。ではどんな方法が有効か。次からその方法について説明していきます。

まずはアレルギー解消

以前の記事にも上げましたが、国語のベースは正確に読み取る力です。

ただそのベースを積み上げるにしても、文字嫌い・文字アレルギーを起こして最初から文を読み切ることができない・したがらないようでは、国語の力を上げようもありません。

そうした文字嫌い・アレルギーを解消するための練習・手段として読書を使うのはアリだと思います。

ただし、「つまらないと感じたらそこで読むのをやめる」のを許すくらいの思い切りは必要です。

こどもの「おもしろいもの」に対するセンサーはとても優秀です。彼らが面白いと感じる物はこちらが何もしなくても見つけてきますし、勝手に熱中します。

つまらない・興味がないものを「おもしろいから」、「もったいないから」、「きっとタメになるから」という理由で強制して最後まで読ませたところで、文字嫌い・文字アレルギーを加速させるだけですし、個人的には退屈な本に付き合う時間こそ「もったいない」と感じます。

少し話がそれますが、私が学生のとき音楽はCDを介して流通していました。当然いまでも存在するメディアですが、ネット購入の気軽さに押され、今ではかつての勢いは失われています。それはともかく、その当時のCDの買い方に「ジャケ買い」というのがありました。アーティストの名前や、曲のよさではなく、ジャケット(表紙)の見た目で買うCDを決めるのです。見た目のよさだけで買うわけですから、中に入っている曲の善し悪しは様々です。ですが、そこで偶然、自分の好みにピッタリ合った曲が見つかったとき、一種の「運命」を感じて新しいジャンルを開拓するきっかけにつながる・・・ということがあるのです。

これは本との出会いでも同じようなことが言えます。

表紙やタイトルだけを見て、ビビッと惹かれる本を選ぶ。当然、当たりハズれはあるでしょう。ハズれたならば、さっさと次の本を探し、自分の運命の本を探す。そうして出会った「面白い本」によって、それまで本を読むのが嫌いだったのが興味を持つようになったり、小説しか読まなかったのが評論を読むようになったり・・・といった具合に様々な変化を起こしてくれる可能性があるわけです。

これがCDならば、CDを買う費用もあってなかなかチャレンジできませんが、本の場合には「図書館」という市民の味方がいます。移動にかかる費用を除けば、本は全て無料。しかも、冊数も豊富ときているわけです。

直感的におもしろそうな本を探して、つまみ食いしてつまらなければ次に移る。こうした気楽さで読書に接してみるのは文字嫌い・文字アレルギーを解消し、本が好きになるきっかけを作る良い方法だと思います。

読書の効果を上げるには

では「読書好き=国語が得意」かというと必ずしもそうではないと思います。

なぜなら読書は楽しむことを目的としていますが、国語はそうではありません。言葉の知識や適切な言葉の使い方、文の構成、段落の構成・・・などなど文章に書かれていることを適切にかつ効率的に理解することが目的です。

極論で言ってしまえば、読書は細かい言葉の意味や、文の流れなどが分からなくとも面白ければいいのです。

一方国語はどんなに文章の内容にのめり込んだとしても、理解や得点につながらなければあまり意味がありません。

むしろ読書好きの人は文章にのめり込みすぎてしまう分、客観的な判断を欠いてしまうため、思ったように国語のテストなどで点数が取れなくなってしまうこともあると思います。

では、読書を国語などの力に転用するにはどうすればいいか。

その方法の一つは読書体験を共有することです。

同じ本を読む、感想を述べ合う、クイズをするなどして読んだ本の内容について自分以外のだれかと話してみるということです。

言葉の意味をクイズにして聞くことで、語彙の力が鍛えられるのももちろんですし、感想を言い合うことで主観的な感想を客観的に述べる練習にもなります。

とはいえそういった機会を作り出すのは難しく思えます。

ですから、手近な方法を一つ紹介します。

それは「親子で同じ本を読む」ということです。

親子で同じ本を読んでみよう

この方法は特にお子さんが幼いときに行えると効果的です。

というのも小学生でも高学年ともなるとなかなか保護者の方との距離感も微妙になってしまうと思います。中学生なら言わずもがなです。そうした距離感で「同じ本を読もうよ」と提案してもなかなか受け入れられないのは仕方がないことだと思います。

そうした場合でも、一方的に「この本を読みなさい」といって渡すだけで終わるのではなく、こっそり自分も読んでみて気軽に感想を言い合うとか、読んだことのある本を紹介がてら渡してみるなどの工夫をしてみると案外うまくいくかもしれません。

いずれにせよ楽しみを目的とする読書は主観的で、自分目線で、内向的なものです。他人と楽しみを共有する必要もありません。ところが意見を共有することで、単なる読書が国語の学習に早変わりします。しかもある程度の楽しみを確保しながらです。

意見の立派さ、考えの深さなどは二の次で、相手の説明で不足しているところを補うようなやりとりができれば十分です。

まとめ

今回は「読書は国語に有効か?」についての考えを述べさせてもらいました。

単に本を読んで終わるだけで無く、意見を共有することで言葉の使い方、並べ方、内容の構成もふくめたトレーニングになります。ぜひ気軽に取り組んでもらえたらと思います。

この記事を書いた人

陌間 和将
山王教室の責任者・国語の教科責任者を担当しています。
日常の授業を通して考える習慣を身につけてもらうべく、様々な仕掛けを凝らして授業をしています。