『本能寺の変』とは言いますが『本能寺の乱』とは言いません。『応仁の乱』とは言いますが『応仁の変』とは言いません。
『変』と『乱』はどう違うのでしょうか。

調べてみると
『変』は「成功したクーデター。成功して世の中が変わった、という勝者の視点から」、『乱』は「失敗したクーデター。反乱が起きたものの鎮圧した、というこれも勝者の視点」とのことです。

『本能寺の変』では、時の為政者、織田信長が明智光秀によって自害した。明智光秀はそれからわずか13日で亡くなっているが、それでも、その時本能寺でのクーデターには成功しているので『変』。

『応仁の乱』では、室町時代、畠山家の家督相続に端を発した争いで、細川勝元側(畠山政長、斯波義敏、足利義視)東軍約16万VS山名宗全側(畠山義就、斯波義廉、足利義尚)西軍約12万の争いが起きました。
開戦直後、細川軍が足利義尚を主君として担ぎ、翌年には山名軍が義視を担ぐなど敵味方入り乱れての戦乱は10年続きます。
結局の所、和睦で終わったわけですから、クーデターとしては失敗、だから『乱』ということになります。

フライデー6月16日号に『「霞ヶ関の乱」は起きるか』という見出しがありました。
これは加計学園の獣医学部設置に関して、文部科学省内部の現役官僚から『反乱』が起こるのだろうか。という意味合いだと思うのですが、果たして『乱』で良いのでしょうか、『変』ではないでしょうか。
このままでは、鎮圧されることを想定したクーデターという意味合いになってしまい、内部告発が成功しないことを想定した表現になってしまうのではないでしょうか。

本来の区分け方からすると、とても『変』な表現だと思います。