「国語ができない」と嘆いている生徒や保護者の方に、わたしが全力でおすすめしている一冊があります。
もったいつける気はありませんので、ずばり申し上げます。それは「社会の教科書」です。
「え?なぜに?」と思われた方、「社会の教科書」をあなどっちゃいけませんよ。
なぜ私が「社会の教科書」を国語力回復の教材として推すか、今回は書いてみたいと思います。

国語力回復に必要なものは何か?

本題に入る前に、国語力を回復するために私が個人的に必要だと考えているものについて触れておこうと思います。
ズバリ「経験値」です。
漢字を読んだり書いたりした経験、辞書を引いた経験、文章を読んだ経験、作文を書いた経験、意見を発表したり聞いたりした経験、そういったさまざまな経験を積み重ねがその人の「国語力」を決定づけているのではないのでしょうか。
いかにして経験値を稼ぐか?考えた末に私がたどり着いたのが「社会の教科書」でした。

ならば国語の教科書が最適ではないか?と考える方もいるでしょうが、国語の教科書レベルの負荷に耐えきれないからこそ苦しんでいるのでそれより負荷の軽い教材はないものかと私は考えました。

国語力回復に社会の教科書を推す理由

理由①国語の教科書よりも文章が易しく読みやすい

国語における経験値稼ぎには、ある程度ボリュームがあって、なおかつ反復しやすい教材がマストです。そうしたことを加味すると「社会の教科書」はまさにうってつけです。言語を教える教科ではありませんので、文章も使用される語句も国語の教科書と比べると圧倒的に易しくて読みやすいのです。

しかも見開き2ページで一つの内容が完結するという構成もすばらしいです。どんなに集中力が続かない子でもさすがに見開き2ページならこなせることでしょう。全体を通してのボリューム、ひとつひとつの内容におけるボリューム、そのどちらもが国語力回復にとって「適量」なのです。

理由②因果関係がはっきりしている

社会科は言うなれば「人」の歩みをジャンル別に学ぶ学問です。地理も歴史も公民も、その中心にいるのは他ならぬわれわれ「人間」です。他の動物とは異なり、人間は理性によって自らを制御できます。高い知能をもっています。したがってその行動にはなんらかの「原因・理由」が存在します。

「日当たりの良い土地だから果樹栽培を行う」「朝鮮からの旅行客が多いからハングルの案内表示を設置する」「反乱を企てた貴族・朝廷を監視するために六波羅探題を設置した」、例を挙げればきりがないほど「社会の教科書」には「原因」と「結果」があふれているのです。

受験現代文の第一人者である出口汪先生もその著書で何度となく仰っていますが、「因果関係」をつかまえることが論理的思考能力を養う上で、非常に重要な役割を担っています。
そんな「因果関係」ばかりがそこここに埋め込まれている「社会の教科書」ってなんてすばらしい!

理由③ついでに社会科の知識も深まる

まあこれはあくまでも後付け、副産物になってしまいますが、一定量反復しているうちに内容を少しずつ覚えていってしまいます。覚えようとしなくてもです。
国語力の養成において、中身の「おもしろさ」はあまり重要ではないと私は考えますが、ただどうせ練習するのならば実のある内容の方がいいですよね。
うれしい誤算が待っているかもしれません。

まとめます

いかがでしたか。国語力を回復させるきっかけとして「社会の教科書」が意外に使えるということがおわかりいただけたでしょうか。
「国語の教科書」では負荷がかかりすぎると感じる場合は、ぜひ騙されたと思って一度「社会の教科書」を「国語の教科書」だと思って接してみて下さい。
次回は「社会の教科書」を使って私が具体的に子どもたちにどう国語的な指導をほどこしているか、お話しできればと思います。

この記事を書いた人

加藤 正和
足柄駅前教室責任者/文系科目担当/時事モンGOの中の人

・「熱しにくく、冷めにくい。」一度火が付いたら止まらない性格。
・「書けそうで書けない絶妙なポジションの漢字」を探すのに夢中。

ユーミンとサザンとミスチルと中島みゆきとももクロをこよなく愛しております。でも最近のヘビロテはヒゲダンです♪
ビールと日本酒をこよなく愛しております。
したがって、カラオケと居酒屋をこよなく愛しております。

めったにブログ書きませんが
筆無精の「全力」をご覧ください。