こんにちは、富水教室の山田です。

かなり昔のことを思い出した。
別に楽しい思い出ではない。
むしろ、悲しく、可哀想な子の思い出だ。

勉強もそれ以外の事も、いっさい手を抜かない子でした。
学校外での活動が毎日のようにある子で、分単位秒単位で行動しているような子でした。
よく、部活が忙しいからとかクラブチームでの活動が忙しいからなど言い訳をして勉強を疎かにする子がいますが、今まで見てきた子達の中で、その子より忙しく時間が無いなんて子は見たことがないと感じるくらい多忙な子でした。
あまりの時間の無さに、見たいテレビなどは録画をして、週末などで時間が取れる時に2倍速で見ていたという話も聞いたことがあります。
日々時間が無いのは、学校外での多忙なスケジュールもそうですが、そんな状況でも必ず毎日勉強をしていたからでしょう。
部活を目一杯やる、クラブチームで部活以上のハードスケジュールで何かをやる、それらは、この子の学校外の活動同様、自分の好きな事だ。やりたい事だ。
自分の好きな事をやるのだから、やりたい事を心ゆくまでやるのだから、それがどんなに大変でもそれを理由に勉強を疎かにしてはいけない。
正に、生徒の鏡だ。
そんな頑張り屋な子だったので、周りの誰よりも多くの時間勉強をしていたと思う。
成績はオール5だ。
他にもオール5の生徒は見たことがあるが、あの子のオール5は違う。
生徒ではあったけど、こちらが尊敬できると感じる重みのあるオール5だ。
その子は、推薦試験で進学を考えていた。
成績も性格も申し分ない、学校の校長先生からも太鼓判を押されての推薦試験だった。
しかし、結果は不合格。
校長先生をはじめ学校の先生方はもちろん、我々エコール学院の先生達もあまりの衝撃的な出来事に言葉も出ないという状況だった。
確かに、オール5だから校長推薦だから100%合格できるなんてことはない。
先ず第一に定員がある。
もし、推薦で集まってきた生徒全員がオール5だったなら、確かに誰かが何らかの理由で落とされる。
あの時は、きっとそういった状況だったのだろうと考えるしかなかった。
オール5、校長先生からの太鼓判ということもあり、入試に向けてのいわゆる入試対策的な勉強はしていなかったと思う。
入試に向けての本格的な勉強に切り替えたのは、それがあって急遽だったと記憶する。

一般入試で進学を目指すことになったその日から、自分の教室だけではなく、毎日のように本部に来て勉強をしていたと思う。
各教科の責任者の先生達が、それぞれの力を出し切って応援をするといった状況だったと思う。
しかし、間に合わなかった。
本命として挑んだ学校には、残念ながら届かなかった。
あれだけ真面目な子が、あれだけ頑張ったのに、何でこれほど悲しい思いをしなければならないのだろう、今でもそう思う。

新幹線の中でレポートを書いています。
1つ2つなら書けますよ。

何年か経ったある日に聞いた言葉だ。
相変わらずだな。
凄いよ、脱帽だ。

突然、その子のことを思い出した。

あの時、神様なんていないよね、世の中なんでこんなにも不公平なんだ、色々感じた。
それと同時に、やはり絶対なんてあり得ない、『合格通知』を手にするまでは戦う姿勢を崩してはいけないのだということを教えられました。
普段、「石橋は叩いて渡るものじゃない。もしかしたら次で壊れるかもしれないだろ。だから、その不安を払拭する為には自分で新しい頑丈な橋を架けるしかないんだ。渡れるかどうか分からない不安な橋なんて、叩いて壊してしまえ。そして、自分で橋を架ける為に、その為の力をつけなさい。」と生徒達に話します。
もしかしたら、その心配性ともいえる言葉は、あの時のあの教訓からかもしれません。
何故かは分かりませんが、急にその子の事を思い出しました。