こんにちは、富水教室の山田です。

夏の思い出

昨年の夏、50km泳いだ。
うち(富水)の生徒や保護者、他の先生達に「この夏は、50km泳ぐ。」そう言って自分を追い込んだ。

今年の夏、30km泳いだ。
ある1人の生徒とだけ約束をして、約束を守ろうと頑張った。

受験生の諸君、「自分は絶対〇〇高校に合格する」と公言してみてはどうだろうか?
そう言って自分を追い込んでみてはどうだろうか?

私の嫌いな先生

誰でも一人くらいはいるのではないでしょうか。
私には、何人かいます。
嫌いな理由は様々です。

私が中1の時の担任で、社会担当のT先生、訛りがあり何を喋っているのか分かりにくい。
また、どの先生よりも板書の量が多く、授業が終わると右手が痛くて痛くてしょうがない。
『面白くない社会(社会の先生ゴメンナサイ)を、こんなに手が痛くなるまで書かせやがって、冗談じゃない。やってられるか。』
これが、その先生を嫌いな理由だった。
なんともまあ、中学生っぽい理由だ。

異端児

何人かいる中で、最も強い印象なのは、数学担当のH先生だ。
大学を卒業して直ぐにうちの中学に来た若い先生。
熱心というか暑苦しいというか、たぶん、何人かの生徒は同じことを感じていたと思う。

私自身、エコール学院で一番の異端児だと思っているが、その先生は私以上に異端児だったと思う。
紫色のスーツ、それ中学校の先生の服装ですか?
当時、野球部だって坊主じゃなかったのに、その先生が顧問をしていた運動部だけが坊主。
休日、生徒と一緒にゲーム大会。
どういう訳か、運動会のムカデ競走だけは何が何でも優勝すると言い、朝に夕に練習。
たしか、土日での練習もあったと思う。

トイレ掃除で怒られたこともあった。
サボっていた訳じゃない。
大の方が詰まっていたのだ。
当時は中学生、そんなもの掃除をするのは嫌だ。
何で俺たちが当番の時にこんなことになってんだよ、などと班の友達とどうするどうすると困っていただけだ。
そこへH先生登場だ。
「何お前らサボってんだ。」
いやいや、サボってる訳じゃなく・・・
「こんなものな、後で手を洗えばいいんだよ。」
何と、素手で、手を突っ込んでその詰まりを直した。
いやいや普通無理でしょ。
って言うか、分かった分かった、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、俺らが悪かったから、お願いだからその手でだけは触らないでくれ。

やはり、今冷静に考えても、私より異端児だったと思う。

嫌いな理由

ここまでのところでも、嫌いだという生徒はいるかもしれないが、私が嫌いな理由はここではない。
私がH先生を嫌いな理由は、私の邪魔をしたからだ。

当時、当時から?勉強は好きではなかった。
面倒くさいな、何でやらなきゃいけないんだろう、好き好んで勉強なんかするか、絶対高校なんて行くものかと思っていた。
そんな中、何故か数学だけはできた。
他の教科と違い覚えることも無く、ただその場で考えればいいので、楽だと思っていた。
小学校の頃も、算数はできた。
親からは「算数だけしかできない」「◯◯ちゃんは国語ができるから頭いいね、うちのは全然できないから」とよく言われたものだ。
そんなこともあり、『国語ができる=頭が良い』『国語ができない=頭が悪い』といった思いがあった。

まあ、とりあえず、1つだけは輝きがあったということだ。

その輝きを奪う者、奪おうとする者が現れた。
それがH先生でした。
「お前に満点を取らせないように問題を作った」
この人何言ってんの?
いつの頃からか、定期テストの度にこの様なことを言われた。
ここから、H先生との戦いが始まった。
何かと絡んでくる。
「お前はもっと人のために働きなさい」と強引に学級委員長をやらされたこともあった。
何なんだよ、この人。

凄いね

そんなH先生だが、1つだけ『へ~凄いな』と感心することがあった。

「俺はな、何かをする時、周りの人に言うようにしている。」
「それが、大きなことであればあるほど、多くの人に何度も言う。」
「大きなことを言ってできなかった、結果があまりにもほど遠いじゃ恥ずかしいだろ。」
「だから、そうならないように頑張るんだ。」
「辛いとき、苦しいとき、恥ずかしい思いはしたくないと、支えになるんだ。」

私としては、ゴチャゴチャ言わずただ結果を出す『不言実行』が美徳だと考えている。
昭和の男子ですから。
ただ、考えようによっては、『結果があまりにもほど遠いと恥ずかしい』というところからくる『逃げ』とも考えられる。
『有言不実行』が続けば信頼も無くなる。
逃げ道を断ち、自分を追い込み目標を目指す姿勢は、素晴らしいものだと感心した

有言実行

それを日々意識している訳ではないし、思い出した訳でもない。
偶然だ。

昨年の夏、「50km泳ぐ」と富水教室の全生徒・保護者へ話した。
塾での勉強には直接関係ない話だが、
生徒達に「夏休み、40日もある。学校の宿題、塾の宿題をやるではなく、せっかくだから何か目標を立てて過ごしなさい。」と話した。
その時、「お前達だけにやらせてはズルいな。じゃあ俺は、50km泳ぐよ。」と約束したのだ。
目標達成のため、雨でも泳いだ日があった。
『俺がやらなきゃ示しがつかない』とただの意地だった。
もう嫌だ。そう思いながら、今年はある1人の生徒とだけ約束をして、30km泳いだ。

昨年末の忘年会、「◯◯を西湘高校に合格させる」と他の先生達の前で話した。
合格できたから良かったが、下限辺りをブラブラしていたので、寿命が縮まった。あんなハラハラも、もう嫌だ。

いつでも言ったことができるとは限らないが、『有言実行』ときにはチャレンジしてみるのもいいのではないか。
受験生の諸君、「絶対〇〇高校に合格する」と叫んでみてはどうだろうか?

先生とは

私の嫌いな先生、嫌いな先生にも、尊敬できることはあり、真似すべきことはある。
嫌だ嫌だと言うだけでなく、違う角度から見てみてほしい。
きっと参考にできることはあるはずだ。

『先生』とは何だ?
『先』を『生』きる
先を生き、見たもの、聞いたもの、感じたもの、そう、経験を伝えることこれが先生の役目だ。
経験には、善いもの悪いものがある。
善いものだけでなく、悪いものも全て伝えることが大切だろう。
武勇伝を語るがごとく、善い経験だけを話す奴は偽物だ。
善いも悪いも、それらの経験を通して、自分が何を学び、どう成長したのかを伝える。
ここに本当の意味がある。

未だ経験してきていない事を、事前に伝えることによって、生徒達をより良い方向へ導く。
もっとも、「それは水じゃないぞ。熱湯だぞ。」と伝えても、触って火傷をする者はいる。
それはそれでいい。
『ちゃんと先生の話を聞いておけばよかった』とその子が成長するきっかけになる。
また、その経験はその子だけが伝えることができる事実としてつながっていく。

学んだこと

精神論を語るつもりはない。
ただ、行動に気持ちが関係しているという点は、誰しもが理解していることだと思う。
『背水の陣』
私は、H先生からこれを学んだのかもしれない。
絶対〇〇高校に合格する
受験生の諸君、宣言してしまいなさい。

この記事を書いた人

山田 明史