思い返してみると、小学校低学年のときは学校で勉強した内容を家で話すとよく褒められました。我ながら単純なものですから、学校で聞いたことを逐一覚え、家で披露するようになるんですよね。

勉強を教える立場になった今、プロの目線から振り返ると、どう考えても親の手のひらで転がされていたとしか思えません。実際に、大人になってから「自分が教えたくないから、学校であったことを繰り返させて勝手に覚えるようにしてたんだよ」と語っていた我が親。

現在の我が家でも、子どもが体験したことをよく聞くようにしています。まだ2歳児なので9割暗号ですが、何だか一生懸命話している姿を見ると、幼いながらにアウトプットをする習慣は大事だと感じさせられます。ちゃんと目を合わせてうんうん頷きながら話を聞いてあげる(よく分かりませんが)と喜びますしね。

再び私の小学生時代を回顧すると、3年生頃からほとんど褒められなくなっていました。と同時に、勉強しなさいと言われたこともほとんどありません。これは、勉強したことを褒めるという初期段階から1歩進んだということでしょう。

その後無事に勉強が習慣化したようで、高1までは問題なく過ごすことができました。高1のときに何があったかは別のお話

勉強した子どもを褒めるとき

突然ですが私は塾講師兼主夫(笑)です。共働きなので分担をしているだけですが、私は食事担当なので、365日3食作ります。

そんな立場だから言えることなのですが、たかが家族の食事を作ることは、褒められるような特別なことではありません。大変な事だとは思いますけど。

でも、普段まったく家事をやらない旦那さんが一念発起して材料を買い込み、夕飯を作り上げたら、まあ褒めますよね。褒めないと二度とやってくれなそうですし。

また、つきあいたての彼女が必死に練習したオムライスを作ってくれたら、そりゃ褒めざるをえません。人間関係に深い溝が出来てしまいます。なんでいきなりハイレベルな料理に挑戦したがるのか謎ですが。

つまり、特別なことだからこそ「褒める」というご褒美が必要なのです。

褒めるのは勉強が特別なイベントである証拠

子どもが勉強をしたことを「偉いね~」とか「よく頑張ったね~」と褒めること。それ自体がダメというわけではありません。

しかし、それはまだ勉強が特別なイベントになってしまっている証でもあります。

今まで勉強をしたことがない小学校低学年のときは、確かに特別な行動ですから、どんどん褒めた方が良いと思います。褒められた側の子どもだってまだ素直な年頃ですから、また勉強してみようという気になっていきます。

大人でも何気ないねぎらいの言葉は響くものがあります。遊びたい盛りに我慢をして勉強をしたのですから、小さい子は褒められることを期待したくもなりますよね。

勉強し始めた中学生も同じく褒める

すっかり勉強の習慣がなくなってしまった中学生が、ようやく重い腰をあげて勉強をし始めた。これは言葉は悪いですが、小学校低学年の子が勉強しているのと同じ「特別なこと」です。

そんなときは、その頑張りをきちんと評価してあげましょう。

せっかく彼女が作ったオムライスなのに、一口食べて「ちょっと塩味が足らないよね」とかケチをつけたらどうなるか、想像すると恐ろしいものがあります。

せっかく一歩を踏み出して勉強してみたのに、「ようやく勉強する気になったの?」とか「もっとやった方がいいんじゃないの?」とか(言いたくなる気持ちも分かりますが)言ってしまったら、かすかに沸いたモチベーションはあっけなく吹き飛びます。

内心「まだまだだなぁ」と思っていても、まず行動を認めてあげる。気持ちを乗せてあげる。最初はそれで良いのです。

勉強した子どもを褒めなくなるとき

先ほどの料理の例を再び持ち出すならば、毎日毎日食事を用意しているうちに、褒められることは自然と無くなります。同時に、褒めてもらう事を期待しなくなるのではないでしょうか。

完全に習慣になってしまうと、そこに対して褒める・褒められるというエネルギーを使わなくなります。それが良いか悪いかは置いておくとして、いちいち何とも思わなくなってしまうのが現実なのです。

勉強が当たり前の習慣になる

勉強するのが当たり前になれば、目的が変わってきます。「褒められるため」にやっていた勉強が、「自分のため」になるのです。

そこまでいくと、もう褒めてもらいたいという「欲」は薄れてきます。何のために勉強するかは人それぞれ個性が出てくると思いますが、何かを得たいという「欲」がモチベーションになっているはずです。

勉強を特別なイベントにしない

さすがに小学校高学年や中学生にもなって、「僕、勉強したよ?褒めて褒めて!」なんて思考の子は少ないとは思いますが、それに近いものを感じる子もいます。まだまだ勉強が特別なものという意識が残っているのでしょう。

それが顕著になるのは、テスト前です。

中学生はやたらとテスト勉強になると張り切ります。部活が無くなる1週間前を皮切りに、無意味に夜遅くまで勉強をしたり、日頃の勉強時間の数倍もの勉強をしたり、さもテストに向けて努力をしている雰囲気を出すのです。

勉強の時間と質にムラがある子も多いですね。半徹夜状態で根を詰めた日があったかと思えば、お出かけをしてしまって結局夜しか勉強しない日が出てきてしまうことも。

しかし、その子の中では「たくさん勉強した日のイメージ」が強く残るため、今回のテスト勉強はいつもより頑張っていると勘違いしてしまいます

一方、本当に結果を出す子はどうか。彼らはもちろんテスト勉強をするのですが、いつからが普段の勉強で、いつからがテスト勉強なのかの境界線があいまいです。普段から勉強するのが習慣になっていれば、若干ペースを上げる程度でテストに対応出来ます。

コンスタントに普段から勉強をする習慣がある子は、長い期間をかけて積み上げているため、力を発揮しやすい「長期記憶」が出来やすいサイクルになっています。その上テスト前にもう一回り高い力をつけるのですから、結果は約束されたようなものです。

普段勉強のペースが上がらない我が子が、テスト勉強を必死に頑張っていた。その姿を見ている保護者の方は、きっと結果はどうあれ褒めたくなりますよね。もちろん褒めるのは構わないですが、それをしているうちはまだまだ発展途上ということなのでしょうね。

伸び代はたっぷりありそうです。

まとめ

勉強をするのが当たり前になると、その都度褒める必要が無くなる。本人も褒められたくてやっているのではなくなってくる。そのとき自学の形が理想的な状態になってきています。

そんな中、何気ない励ましの言葉があると、より効果的です。

当人は普通に勉強をしているだけなのですが、ふとしたときに保護者から「最近よく頑張ってるね」という声をかけられると、認められている、見てもらっているという意識が持てます。モチベーションを上げるための「褒め」ではなく、支えていることを感じさせる「褒め」がちょうど良いあんばいです。

またまた料理の話に戻りますが、ずっと当たり前のように食べるのではなく、ときどき「美味しいね」と言ってもらえるとひっそりとテンションが上がるじゃないですか。

勉強も同じですよね。学生にとって勉強は特別視するものではないのですが、やっている事を認めてあげるのは大事ですね。

以上、理想的な状態に持っていく流れでした。まあ、やってないなら尻を叩いて動かすのも保護者の役目なんですけどね。